活躍する卒業生
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ダイキン工業リサーチ・コーディネーター
日本機械学会会長 - 伊藤 宏幸氏
「自由闊達」~産業界と学術界の
コーディネーターとして共創的解決のお手伝い~
幼いころから航空宇宙工学の飛躍的進歩に触れ、名古屋大学工学部航空学科に進学され、そこで学び、研究したことを活かしながら、社会人として機械工学系の企業内研究者の道を突き進んでこられた伊藤宏幸さんに、様々な転機を含めどのように過ごしたか伺います。
最初に、後述する内容に繋がる個人的な話をさせて頂きます。私は、大阪市生まれで名古屋市、次いで一宮市育ちですが、本籍地は、墓所とともに現在も高知市にあり、祖先は、江南・岩倉地域にも関係の深い山内家に仕えていました。その前は、伊達騒動の後、宗勝が土佐藩主・山内豊昌預かりとなった際に、宇和島藩伊達家から土佐に入ったと伝えられています。ある意味では、マイノリティーである宿命を背負っている人間かも知れません。昨今のデジタル時代にあって、却って精神的ディアスポラ(※1)状態に起因する疎外感を覚える人も少なくないと言われておりますので、渦中にいらっしゃる方にも何かの参考になれば幸いです。
小学5年生の時、大阪の通天閣ぐらいの巨大なサターンロケットが離陸し、アームストロング船長らが人類で初めて月に降り立ち、月の石を採取し地球に帰還しました。一方、日本は、翌年、ラムダ4S型という小さな固体式ロケットで、ようやく人工衛星「おおすみ」を地球軌道に乗せました。アメリカと日本の歴然とした差に、自分にも何かできることがあるのでは、そこに夢があるなと思ったのです。
滝高校の特待生試験に、想定外ながら合格して、理数科に入った時は、高校課程を先行する滝中学出身の級友に囲まれながら、授業についていくのも大変。しかし、その必死さが周りには伝わらず「2代目ギター部部長をやれ」と顧問の栗本先生に言われたときも『ヒロユキは暇そうだから』という理由でした。女性部員も多く、まとめるのは大変でしたが、みんなで楽しくギターを演奏しようと、ゆるい感じで努めながら、自分に求められる役割について考えるきっかけとなりました。天体観測部にも飛び入り参加して、校舎の屋上に友だちと寝っ転がって飽きることなく星を眺めていました。実は独特な宇宙観を持つインド哲学にも興味があったのですが、滝の卒業生で東京大学インド哲学専攻の学生が来られた際、「原典を読むにも天性の語学力が必要。さもなくば、一生、資料を追うことで終わる」と言われ、その道を諦めました。であれば、やはり航空宇宙工学について勉強したいと、航空工学系の学科がある大学を調べましたが、当時、国公立では5校のみ、入学定員を合計しても150名に満たない状況でした。京都大学も候補でしたが、周辺に航空宇宙系企業も多い名古屋大学を選びました。
名古屋大学工学部航空学科は定員20名でありながら6講座もあり(当時、機械工学科など多くの工学部の学科では、学生40名あたり6講座が標準でした)、先生だらけという印象でした。講義は日本語でしたが、教科書は英語のものが多く、板書が英語の先生もいらっしゃいました。まず教養部で、人文科学と社会科学をそれぞれ12単位以上、自然科学は24単位以上取得する必要があり、学部に進学してから必修70単位、選択22単位以上という超詰め込み型で苛烈な教育体系でした。主要な必修科目も、最初の1年間こそ一般的に機械工学科で4力学と呼ばれる流体力学、熱力学、材料力学、機械力学と制御の基礎を圧縮して学ぶのですが。その後、特異性が顕著となり。高速空気力学、ジェットエンジンを対象とする原動機学、ロケットエンジンを対象とする推進工学、構造学、航空機力学、制御工学など航空学科ならではのものが含まれていて。コンテンツも、フライバイを活用した宇宙航行、希薄流体力学、超音速での空力加熱、極超音速空気力学、構造翼、昇降舵・方向舵・補助翼の役割と姿勢変化、今でいうドローンの制御など、ほとんどが物理方程式を基に数式操作を駆使する応用数学的なアプローチなのですが、対象は、あまり日常的な現象とは言えないものでした。卒論のテーマは、「衝撃波による水中気泡の伝播」。推進工学講座に配属され、衝撃波と爆轟(デトネーション:爆発現象)の連鎖反応に関する実験を中心にデータなどをまとめ、1次元ですが、コンピュータ・シミュレーションと対比させながら現象解明を進めました。ハードなカリキュラムでしたが、名古屋大学で航空宇宙工学を学べてよかったと思っています。輪講では、大学院の学生を交えて議論しながら学ぶことで、自分の考えと相手の考えを足し合わせて、初めて全体像というものが見え、先生の言っていることが理解できるようになる。これは後の私の人生に影響を与えた大きな学びでした。
1981年に大学を卒業し、ダイキンに就職したのは82年。1年間何をしていたかというと、よく言えば自分探し。祖父、父が朝日新聞社の技術屋だったので私もと思って受けたのですが、入社試験に落ちたのです。父からは新聞社の技術屋は一般的な意味での研究・開発ではなく、生産技術を中心とした比較的地味な仕事だよと言われていました。当時の入社試験では、記者志望だけでなく全員が2,000字程度の論文を書かされました。科学記者(サイエンスライター)なら採用するがどうかと朝日新聞社の方から言われたのが、ひとつの救いでしたが、お断りしました。振り返れば、未だこの時点では、間主観性の境地を会得していなかったと言えます。研究生として大学に籍を置き、研究を続けながら、自分探しの時間を確保し、色々な社会を見てみようと思い立ちました。中でも警備会社のアルバイトでは、様々な経歴を持つ人たちと仕事をしました。普段は工事現場やショッピングセンターの交通整理に従事するのですが、最も印象的だったのは、倒産した、とある設備部品会社の資産保全業務でした。夕方から倉庫の前をトラックでブロックして運転席で監視していたのですが、抜け駆けで持ち出ししていないか尋ねて来る人々の人相がどんどん変化して、明け方に債権者会議が合意に至るまで、映画かドラマのような世界を体験しました。近所に、既に逃避している社長宅があったのですが、子供の3輪車が放置されていて、人生勉強になりました。
チャレンジができるとか閃きを具現化できる会社で、ワクワクを楽しめる人がいるといわれるダイキンですが、
ダイキン工業に入社されたきっかけは。
先生からは大学院に残るように勧められましたが、前年から残っていたエントリー葉書きを数社に出したところ、ダイキン名古屋支社の課長だけが直接あいさつに来てくれました。会社案内を見ると、ダイキンは、若手人材の登用に熱心で、比較的早期に処遇に差をつけると書いてあります。当時、エンジニアとしての才能不足を自覚していましたので、30代前半で差がつけば、あとは個人的趣味の世界に浸れるかもしれないと思ったのです。実際にはその逆のケースとなり、比較的若い頃から、最も苦手な「人事評価」を余儀なくされました。誤解のないように申し上げれば、当社は、「人を基軸におく経営」を徹底していて、入社以前のオイルショック時も、私の40年を超える在職中にも、いわゆるリストラをしていません。話を元に戻すと、唯一あいさつに来てくれたこともあって、ダイキンに決めました。
ダイキン工業で、今までどんなお仕事をされていましたか。
入社して、研究所に配属され、わずか2年間ですが、京都大学理学部数学科出身である最初の上司の指導の下、当初は2人で、社内CAE(※2)システムの構築、構造、振動、機構などの解析業務に携わりました。この10歳年上の上司は、現在も特例として当社に所属していて、我が国のCAEの普及に貢献されています。2年後に所属が別れてからは、社内計算資源の優先獲得などを巡って必ずしも良好な関係ばかりではありませんでしたが、今もお互いに刺激を受けながら認め合う存在であり、ずっと尊敬できる最高の先輩です。研究所に残った私は、オリジナルの境界要素法による3次元音響解析、アクティブ消音技術の開発、空調システム制御の研究などに携わりました。時代的にちょうど第2次AIブームと重なっており、最近、ChatGPTに代表されるLarge Language Model(LLM)のコアに発展した原始的なアルゴリズムも密かに研究対象にしていました。どれも現在は日常的な手法となりましたが、当時としては先進的なあまり、なかなか上層部をはじめ会社に認められないことも多く、であれば、まず研究成果を、公開しても良い形にまとめて、社外に発表しようと考えました。論文発表は学会を通じて行うのが一般的であるため、日本機械学会とのつながりができたのです。一方で、上層部は、一流の会社は世界レベルで著名な大学とうまく関係を持つべきであるとも考えていて、MITのロボット学者である浅田春比古教授と共同研究を進めつつ、Princeton大学、New York州立大学、Johns Hopkins大学 との共同研究を推進し、加えて各種の最新技術の動向調査を目的として、私にボストンへの異動を命じました。ボストンに「DAIKIN U.S. Corp. Boston Technology Office」を設立し、その初代所長として着任。入社14年目の37歳の時でした。時間があれば、MITの種々の研究室で夕方から開かれる無料のオープンレクチャーに飛び入り参加しました。そこでは、日本とは全くアプローチの仕方が違うのに驚きました。ピザなどのファストフードを食べながら、ゲストをはじめ複数の先生と博士課程の学生が主体となって、時としてコンペティティブな内容についても和気あいあいとお互いの意見を言い合うのです。世界中から最優秀の人間が集まって、深夜に至るまで研究して、漸く世界中が驚く様なオリジナリティーを産み出している。これを見て、自分自身の技術者としての限界を強く感じ、「技術の研究開発」から「技術マネジメント」の方にシフトしようと考えたのです。
2年半で日本に戻り、フッ素系中間生成物の排出権ビジネス、産業プロセスのグリーン化、光化学反応による蓄エネルギーなど環境ビジネスについて探索・研究したり、ネットワーク家電ビジネスの探索をしたり、さらにデジタル・エンジニアリングの高度化推進、出張ベースでのMIT Sloan Management School Executive Certificate取得やStanford大学や大阪大学とのProject Based Learning(PBL)の実践を含め、技術経営・設計工学の調査をしたりと、分社化された3つの研究所全てを経験しつつ、まさしく技術マネジメントの視座を追究していきました。
日本機械学会と関わるようになったきっかけは何ですか。
また、どんなお仕事をされているのかをお聞かせください。
1980年代、政府・通商産業省(当時)が、日本の製造技術の素晴らしさをもっと世界に広めようと立ち上げたIMS国際共同研究に参画したことで国内外の企業や大学と協業する得難い経験をしながら、先述したように日本機械学会会員として社外発表をしていましたが、その後は、正員として席を置くだけになっていました。2005年、当社を代表して関西支部の企画幹事を務めることになり初めて学会運営に携わりましたが、2年間の任期終了時に、今度は、設計工学・システム部門の運営委員就任を要請されました。会社で商用図面を描いたこともなく、直接、製品開発にも関わっていないため躊躇するところもありましたが、実際に会議に参加してみるとIMS国際共同研究を牽引していた先生方のお弟子さんが多くいらっしゃって、一挙に距離が縮まりました。当初、先生方には不評でしたが部門改革を進め、国際会議を主催することで各種委員会に若手を送り込んで育成する。そのためには、部門交付金以外の原資が必要となるので積極的に有料講習会を開催する。そのテーマ選定にあたっては、聴講者である企業技術者や企業の意向に沿うように実施する。こうした企業人には当たり前のアプローチを強力に実行したことが評価されたのか、数年後には部門長に就任することになりました。そこから、支部・部門活性化委員長、本部の企画理事を経て、関西支部長、庶務理事、ついには、代表会員の互選により筆頭副会長に就任し、今年度、規程に従い会長にまでなってしまいました。社外業務ですので、早い段階で卒業することも可能でしたが、日本中の様々な大学の著名な先生方にも背中を押されて、託された役割を自認しつつ自然に行動できるようになりました。
会長になって改めて感じたことですが。学会内には、伝統の4力学をはじめ、バイオやロボット、そして設計工学・システム部門など全部で22の部門と専門会議、推進会議が各々ひとつあり、その多くが素晴らしい活動をされているにも関わらず、部門間のディスカッションがあまりないということです。確かに、材料関係の部門ではシュレディンガー方程式が、バイオ部門ではクリスパー・キャス9が語られているなど、「拡張された力学的世界観」という共有概念はあるものの一つの学会でこれだけ多様性を維持している例も少ないでしょう。また、これは、学会内に限ったことでなく、他の学会との関係性も同様です。一方で、カーボンニュートラルやサーキュラー・エコノミーなどの社会的課題に対しては、様々な人々が色々な立場で話をしながら「共創的解決」に至ることが必須であるため。これを積極的にできる環境(議論のプラットホーム)をつくりたい。また、議論に加わるなかで、会員には一人称で語れるようになってほしいと考えました。これは私が常に思っていて、大阪大学大学院での講義でも伝えている「持論をもってほしい」ともつながるのですが、何か質問されたら、自分の視座で「私はこう思います」とはっきり言えるようになってほしいのです。自分の軸を持ちながら、自分ごととして物事を進めて他者と共創していくことが大切なのです。また、研究開発を進めるにあたっては、広義のアフォーダンス(※3)を常に意識して欲しい、つまり納得しながら、理解を共有して進めてほしいと思います。先述した最初の上司の専攻は抽象数学ですが、彼から言われた言葉に「(数学を咀嚼し理解しながら学んでいて)ここから先は、概念理解において超えられないところがある」があります。工学部と理学部では、研究のアプローチに違いがあるもの、これもアフォーダンスを意識しているからこそ出た言葉だと思っています。
学生には、文系理系に寄らず、是非、「人工物と価値」についても考えてほしいと思います。「価値の構造」については省略しますが、例えば、1990年にNECが開発した当時世界最速スパコンと同じぐらいのスピードで処理できるスマホを今は皆さんが持っています。日本の半導体産業の衰退は、国際経済における政治的介入を除けば、ユーザーの要求する機能価値のうち、プロセスルールの微細化による大容量化と製品の長寿命化を両立させようとしたことにあります。国家プロジェクトとしても25年の寿命を持つ半導体を設計・製造しようとしたのですが、2年あるいは4年ごとにスマホを機種更新するような時代の価値向上には寄与しません。しかし大型計算機やパソコンの普及なくして、情報化社会が価値あるものとして一般消費者に浸透することもなかったのも事実であり、人工物と社会およびヒトのスパイラル状の相互作用を、価値の繰り返し再定義の視点から理解してほしいと教えています。ここで言う、人工物には、モノだけではなくサービスも含まれ、法律のような制度もヒトによって設計されたものという意味で人工物かも知れません。
アフォーダンスと同じようなことですが、最近のトピックスのひとつとして触れておきたいのが、「記号接地」(※4)です。言葉の意味を真に理解するには、現実世界から受け取る具体的な情報について、身体的な感覚を持つ必要があるという考えです。ここで数学の概念などは、必ずしも五感とリンクして理解される訳ではありませんが、この身体知を拡張すれば、「腹落ちする」と呼ばれる、深い納得性と同義であることは明らかですよね、人間は身体を通して得た感覚を概念として記号と結びつけています。つまり、「記号接地」ができているのです。AIはそれができない。人間がリンゴと言われると果物のリンゴの概念、赤い、甘いなどを想像できます。これはリンゴという記号がリンゴの概念に接地されているためです。最近流行りのChatGPTは、単語一つ一つの意味は全然分かっておらず、少なくとも文脈の中で認識していないし、人間の問いかけの意図も考えていない。一言で言うと「続く単語列の予測機」ですが、この単語予測は非常に巧みで、出てくる文章も分かりやすい。皆さんには、「記号接地」問題を理解した上で、AIと向き合っていってほしいものです。
日本機械学会は、先に述べたような社会的課題にも取り組んでいます。学会横断テーマには、カーボンニュートラル問題などがあります。例えば、カーボンニュートラルについて、NEDOなどの予測によれば、2050年までに400億トンのCO2削減を実現しようとすると、当たり前ですが、削減が進んでゼロに近づくほど次第にコストが上昇し、全世界で毎年1000兆円程度かかります。それが社会経済的に成り立つかどうかを議論し、合理的な解決方法を示しながら、機械学会として意思を表明することも重要です。これは、学術団体としてグローバル社会に向けてのパフォーマンスとしても必要なことかと思いますが、国家レベルの経済には、地政学的な要素とともに経路依存性があり、最適なプロセスも国によって異なるはずです。
原子力発電については、放射性廃棄物の処分も含めて広く議論する必要があると思います。さらに、産業プロセスでは、電気エネルギー以上に熱エネルギーの需要が高く、機械学会として放置できない問題であると言えます。
様々な社外活動をされていますが、お仕事との関連性を教えていただけますでしょうか。 文部科学省 HPCI(※5) 計画推進委員会委員、高度情報科学技術研究機構(RIST)の選定委員会委員、科学技術振興機構(JST)のアドバイザー、日本学術会議の連携会員などもしています。HPCI計画推進委員会は,「京」や「富岳」を中心としたスーパーコンピュータ群をどう運用するか、「富岳ネクスト」と呼ばれている次世代のフラッグシップ機にどういう性能を持たせるかなどを決めていく機関です。当社も、新型コロナが流行していた時、遅ればせながら、アカデミアの指導の下、建設会社など協業して、飛沫感染に関するシミュレーションを「富岳」で実行しました。時宜を得て、海外では高く評価されたのですが、飛沫が机上に落ちて蒸発する過程を含むかなり複雑な現象を解析したにもかかわらず、世間には「こんな日常的な問題に莫大な予算を使って」と非難する声もありました。大きな理由は、「京」や「富岳」の開発・整備のみならず運用の一部には、国民の税金が使われているからです。スパコンを科学技術の進展にどう使うかとともに、税金を払う国民にきっちり説明できるかどうかも重要になってくるのです。JSTでは、共創の場形成支援と言って、研究開発においてコアになる大学と行政機関、産業界がうまく連携して進められるようアドバイザーとして関わっています。全体的には、我が国の第5次および第6次科学技術基本計画に謳われているSociety5.0の実現に向けて、主として、サイバー空間とフィジカル空間の融合による新たな価値の創出に産業界の立場からコミットしています。
趣味は、何でしょうか。何か今はまっていることはありますか。
趣味の一つに読書があります。特に戦時経済の話にすごく興味があって、和文もしくは英文の専門書をはじめとする関連の本を探しては読んでいます。日本語版よりはるかに安価な英語版の「フォーリン・アフェアーズ・レポート」も購読していますが、興味を持ったきっかけは、猪瀬直樹さんのノンフィクション小説「昭和16年夏の敗戦」です。日米開戦前夜、若手エリート官僚たちによる総力戦研究所が模擬内閣を開いて出した結論は「日本必敗」。4年後の敗戦を正確に予言したのです。にもかかわらず、戦争へと突入していったプロセスが描かれています。皆さんも一度読んでみると色々と考えさせられますよ。
また、クラシックやジャズからアイドルと広範囲の音楽CDを収集して聴いていますし、食べ歩き、写真撮影もあります。最近は、配信サービスで“投げ銭”をしたり、時に、オフ会に参加したりしています。往年の女優さん、元レースクイーン、現役モデル、多才なOLと様々なライバーがいますが、オフ会に行くと、本名は分かりませんが、色々な世代の人と知り合いになり、経験したことのない世界の話が聞けますから大いに刺激的です。この前は、元レースクイーンのライバーさんやリスナーと尼崎ボートレースに行って、終わってから梅田で焼肉を食べました。楽しかったですよ。誰もが世の中に発信できる時代を実感しています。
座右の銘は。 「自由闊達(じゆうかったつ)」。これを言うと、「お前そのものではないか」とか「お前みたいな自由人ほかにおるか」と皆さんから、からかわれます。もちろん、完全な目標達成ならずともレスポンシビリティー(責任)あっての自由闊達です。これが、コンプライアンス遵守に過剰反応しているせいか、今の若者にあまり見られないのが寂しいです。
滝学園の在校生、卒業生(二十歳代の若手)に対し、今後の進路を決めていくうえ、さらには、生きてゆくうえでの助言がありましたら。
今回の日本機械学会会長もそうですが、私は、原則として、こうした、必ずしもそれまでのキャリアに直結しない要請を断らず受け入れてきました。その際、常に考えていたのが「間主観性」(※6)ということです。自分の主観は、周りのやはり主観を有する人間がいるからこそ形成される、詰まるところ、自分の意志や行動が周りの人から求められる姿と一致すれば、いかにユニークなものであっても受容されるということです。唯我独尊の姿勢を貫いてなお成果を生むスペシャルな人もいますが、そんなスペシャルな人になる必要はありません。かといって客観に身を託す普通の人でも面白くない。私自身ユニークな存在であることを厭わなかったからこそ、こんな人生を歩めたと思っています。
滝の在校生、二十代の卒業生に強く言いたいひとこと。それは、「ユニークであれ」。
※1 ディアスポラ(diaspora)という言葉は、イスラエルを離れて異邦の地で暮らす離散のユダヤ人を指すギリシア語から由来。ある民族集団が故郷を離れ「あちこちに散らばっている」ことを意味し、近年では移民や難民などを含む幅広い越境現象や離散民を指し、単に「離散」を意味して使われることもあります。
※2 CAE(Computer Aided Engineering)とは、コンピュータを利用した工学支援システムのことです。
※3 アフォーダンス(英: affordance)とは、環境が(人や)動物に対して与える「意味」のことである。アメリカの知覚心理学者ジェームズ・J・ギブソンによる造語であり、生態光学、生態心理学の基底的概念である。「与える、提供する」という意味の英語の語「アフォード」から造られた。→知覚のアフォーダンス:ドナルド・A・ノーマン
※4 記号接地:言葉と身体感覚や経験とをつなげること。AIは、単語一つ一つの意味は全然分かっていないし、人間の問いかけの意図も考えていません。そのため、記号接地が重要となります。
※5 HPCI(High Performance Computing Infrastructure):HPCIとは、ハイパフォーマンス・コンピューティング・インフラストラクチャの略。
※6 間主観性(かんしゅかんせい):E.フッサールの用語で、相互主観性あるいは共同主観性ともいわれる。純粋意識の内在的領域に還元する自我論的な現象学的還元に対して、他の主観,他人の自我の成立を明らかにするものが間主観的還元であるが、それは自我の所属圏における他者の身体の現出を介して自我が転移・移入されることによって行われる。こうして獲得される共同的な主観性において超越的世界は内在化され、その客観性が基礎づけられると説かれる。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より)
Profile
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伊藤 宏幸いとう ひろゆき
ダイキン工業株式会社 テクノロジー・イノベーションセンター リサーチ・コーディネーター 一般社団法人日本機械学会 2023年度(第101期)会長 -
- 1958年8月大阪府大阪市生まれ
- 1981年3月名古屋大学工学部航空学科卒業
- 1982年4月ダイキン工業株式会社入社
ダイキン工業株式会社 https://www.daikin.co.jp/
一般社団法人日本機械学会 https://www.jsme.or.jp/
■ダイキン工業株式会社での職歴
●1982年~1996年
研究所(1) (CAEセンター兼任)
・CAE環境の構築、 境界要素法による3次元音響解析
モデリング・エキスパートシステム、 (多変数)非線形最適化問題
・アクティブ消音、ERダンパー、多入力多出力制御 (双腕ロボット, 空調システム)
ファジー・ニューロ制御, 自律分散型生産システム(IMS国際共同研究), など
●1996年~1999年
Boston Technology Office 初代所長
・マイクロガスタービン、ガス空調、燃料電池の可能性探索
・MIT、 ニューヨーク州立大学、 ジョン・ホプキンス大学、 プリンストン大学との共同研究
●1999年~2009年
研究所(2) 研究分社化に伴い、環境研究所、システム・ソリューションズ研究所、
機械技術研究所を歴任
・環境ビジネス、ネットワーク家電ビジネスの探索および可能性評価
・デジタル・エンジニアリングの高度化計画立案
・技術経営/設計工学分野の調査研究、 スタンフォード大学、大阪大学とのPBL
グローバルなライフサイクル・シミュレーションの研究
●2009年~2011年
グローバル戦略本部/アプライド・ソリューション事業本部
・アプライドビジネスのグローバル展開に関する戦略立案
●2011年~現在
テクノロジー・イノベーションセンター(←設立準備室)
・オープン・イノベーションをコアとした技術経営のデザイン
■社外での業務(抜粋・2023年11月現在)
日本学術会議 連携会員(機械工学、総合工学)
一般社団法人日本機械学会 会長
科学技術振興機構(JST) 共創の場形成支援プログラム(COI-NEXT) 第3領域アドバイザー
スーパーコンピューティング技術産業応用協議会 企画委員
文部科学省「HPCI計画推進委員会」委員
一般財団法人高度情報科学技術研究機構(RIST)
選定委員会委員・アドバイザリー委員会委員
関西工学教育協会 機械分科会 会長 (2015~2017)
大阪大学未来戦略機構第一部門 超域イノベーション博士課程プログラム
リーディング大学院フェロー(招へい教授)を経て、大阪大学国際共創大学院学位
プログラム推進機構 非常勤講師
※プロフィールは、取材日(2023年10月24日)時点の内容を記載しています。
★著書
『21世紀の産業革命 コンピュータ・シミュレーション』
著者:小池秀耀、松原聖、萩原豊、豊田幸宏、新富浩一、後口隆、叶木朝則、藤田陽師、井上篤、伊藤宏幸、鈴木智博、三戸邦郎、大森敏明、高田志郎、佐竹宏次、宇田毅、畑田敏夫、望月祐志(分担執筆)
制作:戦略的基盤ソフトウェア産業応用推進協議会
出版社:アドバンスソフト(2005年11月1日発売)
ISBN-13:978-4990214364
『「第3の科学」―コンピュータ・シミュレーションが拓く産業の明日―』
著者:小池秀耀、伏見諭、赤井礼治郎、老孝明、福田正大、田中英司、鬼頭幸三、伊藤聡、野口保、佐々木直哉、澤村明賢、鞆津典夫、伊藤宏幸(分担執筆)
制作:スーパーコンピューティング技術産業応用協議会
出版社:アドバンスソフト(2009年3月19日発売)
ISBN-13:978-4990214395
『産業界におけるコンピュータ・シミュレーション』
著者:スーパーコンピューティング技術産業応用協議会編(分担執筆)
出版社:アドバンスソフト出版事業部(2010年5月17日発売)
ISBN-13:978-4990331610