活躍する卒業生
- 藤田医科大学医学部精神神経科学講座 准教授
- 古橋 功一氏
「ノブレス・オブリージュ」
~唯一無二の児童精神科医として子どもに寄り添う~
2022年12月コロナ禍、母校でPTA保健安全委員会主催保護者向け講演会にて「思春期の子を持つ親として知っておきたい精神衛生の基礎知識~児童精神科医の立場からの提言~」と題し、ご講演をいただきました。
今回は、古橋功一さんがどうしてこの道に進まれたのかを伺いたいと思います。
滝中学時代は、後ろから数えた方が早い順位の再試常連者
滝高校に入り、勉強スイッチが入り下剋上的に理系固定クラスまでのし上がる
滝中学校に入学し、部活はなぜか野球部に入るも、練習のきつさからすぐに逃げ出しました。その後、自然科学部に入部。中身はパソコン部みたいなところで、パソコンゲームばかりしていました。ですから、成績は後ろから数えた方が早いくらいの順位が定位置。再試の常連でもあり、早朝に登校せざるをえなかったです。よく先生にも叱られ、時代柄大きな声では言えないようなことも日常茶飯事でした。でも頑張って受験して入った中学なわけですから、登校がいやになることはなく、皆勤賞でした。なにも取り柄がなかったのですが、中学卒業時に皆勤賞や努力賞をもらったのは励みになりました。この皆勤賞は校長からもらえる正式なものとは別に、学年主任の溝口先生らが独自に作ってくれたものでした。「雨にも負けず、再試にも負けず、3年間よく頑張りました」と書かれた賞状は今も大切にとってあります。
高校からは、いわゆる習熟度別クラスというシステムになり、一番優秀なメンバーが一年間変わらない「固定クラス」のほかは、英語系、数学系で上位・下位クラスに分かれて授業を受けるというものでした。ホームルームは同じでも、英語とか数学の成績によって、教科書・ノートをもって教室を移動しなくてはなりません。授業ごとに自分は下のクラスに移動、あの子は上のクラスに移動、これは結構きつかったですね。自分の出来なさが目の前で可視化されるわけですから。そのころの自分にとっては、「トラウマティック」な経験でした。
それに反発するかのように、どこかでスイッチが入ったのでしょう。急に勉強に専念しようと思い立ち、パソコンやゲームを封印しました。空いた時間は勉強、勉強と。そうしたら、定期考査で下のクラスの中ではありますが、1位をとったのです。それで、2学期の途中から上のクラスに入ることに。それで俄然やる気が出ました。いわゆる正のサイクルですね。頑張ったら、いい結果が出た。それでまた頑張るというように。するとなんと上のクラスでも定期考査で1位をとれたのです。高2からは、まさかの固定クラスに。自分でも驚きました。当時の担任は、保護者面談で「まれにみる成績の上がり方」「こんな生徒見たことない」という話をしたとか。それからもさらに上を目指して努力を積み重ねました。さすがに滝高校の理系トップクラスですから、これまでのようにトップとはいかないものの、上位に入ることもできるようになってきました。
滝高校英会話部で英語劇を文化祭で実施
みんなで何かを成し遂げる喜びを知る
そういったことから、滝高校時代の思い出はほぼ勉強の毎日。ただ、英会話部に入って、文化祭で英語劇をやったことがすごく記憶に残っています。脚本を自分たちで英訳して、演出も、小道具・大道具、メイク、衣装まで、いろんな人の協力も得ながら作り上げていくことは、本当に今思えば「青春していたな」という感じでした。もともと私はみんなとワイワイするタイプではなかったのですが、英語劇を作っていく活動を通じて、みんなで力を合わせて何かを成し遂げる、そしてそのプロセスを楽しむ、そういったことが本当に楽しかったのです。勉強モードに入っていた自分でしたが、部活の時だけは、楽しく、またほっとできる時間でもありました。
親、親戚に医者などいないのに物心ついた頃から「お医者さんになりたい」と言い出す
理系固定クラスに入ったうぬぼれもあって、東京大学理Ⅲを受けるも当然玉砕
周りに医者がいるわけでもなくロールモデルがあったわけでもないのに、物心ついた時から医者になりたいと思っていました。幼稚園の頃、子ども向けの人体に関する図鑑を自ら選んで、熱心に読んでいて、「お医者さんになりたい」と言い出したようです。ですから、もともと医学部志望ではあったのですが、いくらそれなりの成績があったとしても、本来であれば名大を目指すという現実的な目標となるのでしょうが、実家を離れて一人暮らしをしたいという気持ち、都会に対する憧れ、さらにここまで下剋上的にのし上がってきたうぬぼれもあって、東大理Ⅲを目指そうなんて、とんでもない目標を掲げるようになったのです。当然ながら玉砕でした。でもほぼ勉強せず受験し合格した早稲田の法学部に籍を置き、親を説得して、東京で一人暮らしをしながら(いわゆる仮面浪人をしながら)東大理Ⅲを何度もチャレンジしました。最終的には時間とお金も限界となり、名大に志望を変更して、さすがに名大は一発で合格しました。滝を卒業してから3年が経過していました。
大学生時代は、部活、バイト、飲み会と学生としてマジョリティな生活を送る 大学では、まず強力に勧誘された弓道部に入ってしまいました。中学時代の反省から、体育会系はやめておこうと思っていたのですが。ただ、弓道部といっても、名大全体の弓道部ではなく、医学部の弓道部なので、そこまではハードではないと安易に考えていました。ところが週3、4日は練習があるし、週末には試合とそれなりに忙しく、同じ学年で医学科は私一人しかいなかったのでプレッシャーもありました。でも当時のわたしは、大学生時代は部活に、飲み会、バイトにという感じで過ごすというマジョリティ(※1)の考え方の学生でしたから、弓道部もそれなりに楽しんではいました。アルバイトは当初、日雇いの単発バイトをやっていましたが、なぜかマクドナルドでアルバイトを始めたのです。早朝から夜間もできて、シフトも自由なところが部活と両立できると。最初は裏方でハンバーガー作りから。高校生やフリーターの子に叱られて大変でしたが、楽しかったです。マクドナルドにはアルバイトにも職位があるのですが、そのうちレベルアップしていき、バイトの責任者クラスになり、カウンターで接客したり、開店業務を一人でやったりしました。最終的には朝5時30分から8時まで働き、大学に行くという毎日になりました。講義中居眠りもありましたが、医師になってはできない仕事ですし、社会勉強の意味もありました。6年生まで結局続けました。
卒業後はいったん社会医学系の道に進む
卒業後の進路はまったく考えていなかったのですが、社会医学実習(社会環境的な要因と、疾病予防、健康保持増進との関連を研究する分野)で、労働衛生学の研究室に入ったことをきっかけに、人生の多くを占める職場、労働がいかに健康に影響を与えるのかということに興味を持ちました。いわゆる内科とか外科のようなメジャーな選択肢でないことも、おもしろいかなと思いました。あまのじゃく的なところもあるので。そうこうしているうちに、あまり他の選択肢を考えず、研究室の先生からも誘われたこともあり、卒業後はその方向に進もうと、無事6年で卒業、国家試験にもパスして医師としての道を歩み始めました。初期研修を2年経て、大学院生として社会医学の研究室に入りました。そこで動物実験などの基礎的な実験をしながら、データをまとめ、学会発表、英語の論文を書くなど、学位(博士)を取得すること、そして研究者としての基礎を学ぶために、多忙な毎日を送っていました。一般的には学位取得後、研究室にポストを得るとか、他の大学でポストを得るために活動をします。医学部を出て社会医学の研究室に入る者は少ないことから、学位取得後そのまま助手のポストを得て、大学教員として研究を続けるものだと思っていました。しかし、教授が替わったこと、大学のポストが削減されたことで、無給の研究員として残ることしかできませんでした。
学位取得後もポストが得られないまま将来のことを考えていました。研究のテーマは動物実験などの基礎的なものから、より臨床に近い人を対象とするような研究テーマも視野に入れ、いろいろな情報収集をしていました。ちょうど「職場のメンタルヘルス」がクローズアップされた時代でもあり、精神科医の視点からご意見を伺おうと思い、藤田保健衛生大学(以下、藤田)の精神科教授に若くして就任された岩田仲生先生に相談にいきました。すると、「藤田での社会医学系の研究室のポストはないが、精神科であれば教員ポストを提供できる。よかったら来ないか」とお誘いを受けたのです。ただし、臨床なので、当然精神科医としての診療をすることが求められます。考えもしなかった提案だったのですが、このまま名大に残っても、いつポストが得られるか分からない。それならば、精神科医にならなければいけないが、大学でポストを得られるのであればやってみようと。1ヶ月近く考えて決めました。児童精神科医に向けた一歩を踏み出した瞬間でした。
藤田保健衛生大学で精神科医としての道を歩み始める 研究中心だった毎日が、精神科医として臨床の現場で患者さんに向き合う日々となりました。新しい分野での一からのチャレンジですから、毎日が学びです。まず精神科医としての一般的な疾患の診断や治療を学んでいきます。うつ病とか不安障害とか、統合失調症、摂食障害や睡眠障害、認知症など。また大学病院なので、内科や外科に入院中の患者さんのメンタルケアや精神疾患の患者さんが病気やケガで治療を受けるときの対応、自殺未遂の救急外来での対応などと多岐にわたります。また、もともと関心領域でもあった精神科の産業医として企業で働く従業員のメンタルヘルスの管理等にも携わるようになりました。臨床を進めていくうちに働き盛りでメンタル不調になるケース、年を重ねて精神疾患を発症するケースが多い一方で、「思春期~青年期」などの若年層のメンタル不調が増えていることに気づきました。精神疾患は、統合失調症や躁うつ病のように若年期に発症するものが多いことや、不登校、神経症、発達の問題など学齢期こその悩み、苦しみがあることに気づいたのです。そして、できるだけ早期に不調のサインを捉え、適切なケアを提供することで、予後が良くなるのではと考え、関心がより若い年齢にシフトしていきました。大学病院の精神科には児童精神科を専門とするグループがあることが多いのですが、残念ながら藤田にはありませんでした。そのため、自ら学びを求めて、書籍や論文、研修会や学会に出向き、大学病院でも若年層を積極的に引き受けるようにしました。
子どもたちの精神疾患が増えていることに気づく
早めのケアで子どもたちを救いたいと児童精神科医の専門知識を学ぶ
そうした中で、やはり児童思春期の精神科医として専門性を確立するには、専門の医療機関で学ぶ必要があると思い、大学を出て、子どもや障害の専門病院や児童精神科専門の入院施設がある精神科病院などで勤務し、まさに子どもだけを対象とする精神科医療にどっぷりつかってきました。そこで1000人を超える子どもたちと向き合い、重症事例も含めた様々な治療に取り組んできました。10年が経ち、教授とも今後のキャリアについて相談する中で、恩がある藤田の精神科で、児童精神科医の看板を掲げて、診療だけでなく、後進を育てていくことも大切であろうと思い、今年の1月にもどってきたのです。
近年、児童精神科領域では神経発達症(発達障害(※2))が主要な診療対象になってきていて、もちろん多くの神経発達症の子どもたちを見てきましたが、私は主にトラウマティック・ストレス領域を専門にしてきました。例えば、虐待を受けて児童相談所に保護された子だったり、性暴力被害を受けて、性暴力ワンストップ支援センター(※3)に相談し紹介された子だったり、深刻な心的外傷(トラウマ)で長年傷ついてきた子どもたちへの治療を行うのです。こうしたケースでは、「病院の中で子どもを治療する」という、いわゆる一般的な狭義の治療だけではなく、児童相談所、保健所などの行政や、警察、検察などの司法、弁護士、児童福祉関係など、様々な関係機関と連携し広義の治療を行っていくのです。子どもたちの真の回復と社会復帰、そしてより明るく健康的な人生が歩めるように、専門医として尽力することが求められます。関係機関との会議に参加することはもちろん、様々な意見書や診断書を作成し、裁判の証人として出廷したこともあります。医師がここまでするのかという感想を持たれる方がいるかもしれませんが、子どもの医療に携わる者は、アドボケイト(※4)(権利の代弁、擁護者)としての役割が求められており、これも立派な任務だと思っています。
朝起きられない、学校にいけない、勉強をしないなどのほかに
喧嘩、飲酒、喫煙も子どものメンタルヘルス上の不調によるもの
思春期の子どもたちの「心のうち」はなかなかわからないものです。子どもたちのメンタル不調に親が気づく場合は、子どもたちの行動面の変化がきっかけになることが多いのですが、その変化は親が戸惑い、困り、そして不安や怒りを伴うことがあります。学校に行きたがらない、朝起きられない、夜更かししてしまう、ゲームにはまってしまう、勉強をしない、成績低下、食べずに瘦せてしまう、リストカットなどの自傷行為、そして時には親に暴言を吐き、ものに当たり、暴力をふるうこともあるかもしれません。喧嘩、飲酒、喫煙、夜遊び、性的トラブルなどは非行として片付けられがちですが、これらもメンタルヘルス上の症状として現れることも珍しくないのです。親の立場からするとどうでしょうか。冷静にいられますか。叱りつけたり、時には手が出てしまう場合もあるかもしれません。まずはこういった行動の背景にメンタルヘルスの問題があることを理解し、適切な人・専門機関に相談することが必要です。学校であれば、養護教諭やスクールカウンセラーが最初の相談先になることが多いと思います。精神疾患一般であれば、地域の保健所、保健センター、精神保健福祉センターに。発達障害であれば、発達障害支援センターなどの公的機関も相談窓口があります。児童相談所も子どもに関する窓口になります。
進学校の生徒の家庭は社会的地位があったり、教育熱心だったりすることから、相談するということにハードルが高くなってしまうことがあります。体裁やプライドがそうさせるのだと思いますが、体裁やプライドはいったんしまい、勇気をもって相談することが大事です。そうしないと、症状、行動がどんどん悪化して、手が付けられなくなるからです。また、相談したところが期待外れであってもあきらめないで。いろいろなところへ相談してください。そして母親だけでなく、両親で気持ちを一つにして立ち向かう必要もあります。母親だけで背負い、母親が疲弊して孤立していっては、良好な支援とならず、子どもの状態も良い方向にはいきません。
「マイナスなことは言わない」「批判しない」
子どもたちが一番辛い思いをしていることを親は理解して
気をつけてほしいことは「頭ごなしに叱らない、批判しない」。これにつきます。子どもが自傷していたり、拒食していたりすると、戸惑い、不安と怒りなどが出ると思います。「なんでそんなことするの」「やめなさい」とか、叱れば叱るほど子どもたちは地下に潜ります。もっと悪化することもあります。これら自傷行為や摂食障害(※5)などは心のSOSなのですから、一番子どもたちが辛い思いをしている、苦しんでいるということを理解してあげてください。「教育虐待」(※6)については、親に自覚がないことが多く、「子どものため」「子どもが望んでいる」と信じていることが多い。学業成績がすべての価値判断になっていて、それを達成させるため様々な心理的プレッシャーをかけていることに気づいていないのです。特に医学部志望は要注意です。医学部至上主義で医学部以外考えられないとう、親のエゴを子に押し付けないでください。
トラウマは心のケガ。ケガの原因を取り去ることがまず第一 専門としている「トラウマティック・ストレス」領域についてお話します。「トラウマ」をここでは「心的外傷」つまり「心のケガ」という前提で話しをします。まずトラウマの影響が具体的にどのような形で症状として出ていて、その症状のためにどれだけの苦痛を感じて、日常生活・社会生活に影響が出ているかというところで評価します。PTSD(※7)という言葉を聞いたことがあると思いますが、PTSDだけではなく、トラウマによる精神疾患は多く存在します。まず注視すべきことは心のケガの原因となることが、終結しているのか、それともまだ続いているのか。つまり安全が確保された状態かどうかが大事です。例えば、学校で毎日いじめられている、家で毎日虐待されている、この状況があったとしたら、いくら医療機関に受診しても回復は難しいものです。トラウマの原因とされている出来事が終結していて、そこから離れていても、症状が続いて苦痛や生活への影響が出ている場合、治療の対象となります。治療がうまく進むかは、様々な要因があり一概には言えないのですが、もともと心身が健康であり、家庭でも温かく育ってきた子が突然なんらかの事件や事故、自然災害にあい、心的外傷を負ってしまったが、周囲の理解やサポートが十分にあり、かつ本人の回復力も高い場合と、もともと心身に脆弱性があって、家庭環境が不安定で何年にもわたって殴られ罵倒され、性的虐待を受けてきた子が、ようやく児童相談所に保護された、父は警察に捕まらず、母は行方不明、行き場所がなく、施設に入所したが、支える家族もいないといった場合と、やはり後者のほうが回復の困難な道が予想されますね。ただ前者のほうが軽いとか、そういう単純な話ではないです。いくらもともと健康で良い環境で育ち、周りの理解やサポートがあったとしても、心的外傷の原因が重大で、回復にも時間がかかる場合もあります。専門医の立場からいえば、やはり専門性のある医師に受診することが大切です。
趣味はランニング
「新しい学校のリーダーズ」は人生で初めてはまったアーティスト
10年くらい前から、職場の同僚に影響を受けて、ランニングをしています。主に通勤ランといって、行き帰りに走ることです。家から職場まではさすがに遠いので、途中の駅で降りてから走るとか、バスに乗らずに走るとか、しています。休日にまとめて走ることもありましたが、大学にもどり、車通勤になりましたので、通勤ランができなくなってしまいました。大学の体育館にランニングマシーンがあるので、帰宅前に1時間ほどそれで走っています。まだ、フルマラソンにはチャレンジしていませんが、シーズンに2,3回ハーフマラソンに参加しています。
また、今はまっているのは、「新しい学校のリーダーズ」です。いわゆる芸能人、歌手とかアーティストにはまったことは全くなかったのですが、彼女らの動画、ミュージックビデオなどを見て、「何だこれは、すごい」と一気にファンになりましたね。地元で行われたライブだけでなく、武道館にも行ってきました。こんなこと初めてです。若いファンが多いのですが、私と同世代らしい方も結構いて、大学にも「僕もファンです」という同世代の同僚がいました。秋には地元でライブがあるので楽しみにしています。
常に考えていること、胸にしまっている気持ちは
「社会的責務として医師がやらなければいけないことは素直にやる」
座右の銘みたいなものは特にないのですが、あえて言えば「ノブレス・オブリージュ」(※8)でしょうか。19世紀フランスで生まれた言葉で、「身分の高い者(徳を備えた立派な人物)はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務がある」という意味をもちます。医師はかつてほど社会的地位も収入もそれほど高いとはいえなくなりましたが、目の前の子どもたちを救うために、医師しかできないことはたくさんあります。働き方改革が言われる中、健康もプライベートも犠牲にして、24時間365日患者に尽くすということは現実的ではありません。しかし、一歩でも二歩でも自分の力を使うことが責務であり義務であると思っています。時間もお金も労力もです。
「社会的責務としてやらなければと思うことを素直にやる」
私が常に考えていることです。
出会いが大切。いろんなものを見て、いろんな所へ行って出会いを増やして人と違うことをやろう。
マイノリティの人生はおもしろいよ
私の例を見てもらっても分かるとおり、中学・高校時代でも、医学生時代、医師になっても、一筋縄ではいかないことばかりでした。最初考えていた道にスムーズに進めることばかりではありません。思いがけない出会いがあって、道が開かれることもありました。大事なのは人との出会いでしょうか。進路でも、仕事でも何でもですが、今目の前に見える世界だけでなく、ちょっと周囲を見渡して、ちょっと遠くに足を運んで、いろんな人と出会っていく中で、自分の人生がより豊かに楽しくなるチャンスが広がるのではないかと思っています。私自身はもともと保守的で新たなことにチャレンジするとか、知らない人と積極的に交流することが得意ではありませんでした。それが、人との出会いによって、少しずつ変わってきたのかなと思っています。
児童精神科医は、精神科医の中でもマイノリティ(※1)で、トラウマティックストレスを専門にする医師はさらにマイノリティの存在です。保守的なわたしがこの道に進んでこられたのは、わたしの中にある「あまのじゃく」的思考・指向によることが大きいです。この「あまのじゃく」、実は人生をおもしろく、楽しく、生きがいを与えてくれる最高のスパイスだと思っています。
他の人と違ったことをするのは実におもしろいですよ。
※1 「マジョリティ」「マイノリティ」 マジョリティ(英:majority)とは、多数者・多数派を意味し、マイノリティ(英:minority)とは、少数者・少数派を意味する言葉。マジョリティとは、マイノリティの反対語。
※2 発達障害(英:developmental disorders) は、広汎性発達障害(こうはんせいはったつしょうがい)、発達障害者支援法による定義を引用すると「自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるもの」。
▼国立障害者リハビリテーションセンター(発達障害情報・支援センター)のウェブサイト
発達障害情報・支援センター (rehab.go.jp)
http://www.rehab.go.jp/ddis/
※3 性暴力ワンストップ支援センター
全国47都道府県にあり、#8891は全国共通の電話番号で、最寄りのワンストップセンターにつながります。愛知県では2カ所あります。
(1)性暴力救援センター日赤なごや なごみ
名古屋市昭和区妙見町2-9 日本赤十字社愛知医療センター名古屋第二病院内
電話:052-835-0753(24時間365日対応)
※携帯電話、NTTアナログの固定電話から「#8891」におかけいただくと通話料無料でご相談(愛知県内からのみ通話可能)
(2)ハートフルステーション・あいち
一宮市桜一丁目9-9 総合大雄会病院内
電話:0570-064-810(月~土 9時~20時)
※日曜日、祝日、年末年始は除きます。
▼性犯罪・性暴力被害者のためのワンストップ支援センターのウェブサイト
性犯罪・性暴力被害者のためのワンストップ支援センター | 内閣府男女共同参画局 (gender.go.jp)
https://www.gender.go.jp/policy/no_violence/seibouryoku/consult.html
※4 アドポケイト(英:advocate)とは、自分で声を上げることの出来ない立場の人の声を代弁する人、代弁者。
※5 摂食障害(神経性やせ症)
▼一般社団法人小児心身医学会のウェブサイト
一般社団法人 小児心身医学会 | 摂食障害(神経性やせ症) (jisinsin.jp)
https://www.jisinsin.jp/general/typical_diseases/%E6%91%82%E9%A3%9F%E9%9A%9C%E5%AE%B3%EF%BC%88%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E6%80%A7%E3%82%84%E3%81%9B%E7%97%87%EF%BC%89/
※6 教育虐待とは、教育を理由に子どもに無理難題を押し付ける心理的虐待のこと。
医学的な定義はなく、一般的に使われるようになった用語。
子どもに度を超えた勉強をさせる行為だけでなく、子どもが望んでいないのにも
かかわらず、親が習い事を強要することも教育虐待にあたる。
▼NHK『クローズアップ現代』のウェブサイト
“教育虐待” その教育は誰のため?
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4883/
※7 PTSDとは、(英:Post Traumatic Stress Disorder)の略で、心的外傷後ストレス障害。
▼一般社団法人小児心身医学会のウェブサイト
一般社団法人 小児心身医学会 | うつ、不安に関連するもの(場面緘黙、分離・社交不安症、PTSDなど) (jisinsin.jp)
https://www.jisinsin.jp/general/typical_diseases/depression/
※8 「ノブレス・オブリージュ」(仏:noblesse oblige)
19世紀にフランスで生まれた言葉で、「noblesse(貴族)」と「obliger(義務を負わせる)」を合成した言葉。財力、権力、社会的地位の保持には責任が伴うことをさす。
Profile
-
古橋 功一ふるはし こういち
藤田医科大学 医学部精神神経科学講座 准教授(児童精神担当) -
- 1972年愛知県海部郡(現在あま市)生まれ
- 1992年早稲田大学法学部中退
- 2000年名古屋大学医学部医学科卒業
- 2006年名古屋大学大学院医学系研究科修了 博士(医学)
- 2008年藤田保健衛生大学(現・藤田医科大学)医学部精神神経科学講座 助教
- 2013年藤田保健衛生大学(現・藤田医科大学)医学部精神神経科学講座 講師
- 2014年あいち小児保健医療総合センター 心療科医長
- 2018年愛知県心身障害者コロニー(現・愛知県医療療育総合センター)中央病院 小児心療科医長
- 2019年(独)国立病院機構東尾張病院 児童精神科部長
- 2024年藤田医科大学医学部精神神経科学講座 准教授(児童精神担当)(現職)
【専門】
児童思春期精神医学 トラウマティック・ストレス関連疾患 神経発達症
【資格】
博士(医学)、精神保健指定医、日本専門医機構認定精神科専門医、
日本精神神経学会精神科専門医制度指導医、日本児童青年精神医学会認定医、
子どものこころの専門医機構子どものこころ専門医・指導医等
藤田医科大学オフィシャルサイト https://www.fujita-hu.ac.jp/
藤田医科大学医学部精神科オフィシャルサイト https://www.fujita-hu.ac.jp/~psychi/
※プロフィールは、取材日(2024年8月2日)時点の内容を記載しています。