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株式会社青山製作所 代表取締役社長
青山 幸義
平成5年卒

「今日も一歩前へ」
~ファスニングを通じてモータリゼーションに貢献~

青山 幸義 氏 丹羽郡大口町に本社・工場を構え、自動車産業の必需品・ファスナーを提供されている株式会社青山製作所の代表取締役社長 青山幸義さんにお話を伺います。

滝学園時代、どんな生徒でしたか。強く印象に残る先生や出来事はありますか。  多分、周りから見るとまじめに勉強していたのでは?と思います。
 小さいときから運動は全くできない、美術センスもない、面白いことも言えない、そんな子でしたから。自分に自信を持てるものが唯一勉強だったのです。ただ、努力もしました。小テストとか朝早くの追試は大変つらかったので、追試にならないようにどうすればよいか、計算ミスを減らす計算用紙の書き方、とかいろいろ工夫しました。何とか食らいついてやって鍛えられて良かった、と今になって思います。社会人になって追い込まれたことが何度もあって、あの時あれだけやったから大丈夫、ということが役立っています。学校まで自転車で15分、中学高校と柔道部に在籍。大して強くはなりませんでしたが、体は多少鍛えられたかも。
 印象に残る出来事としては些細なことですが、授業そのものよりも合間の雑談で「ご飯は残さず食べる」と言われて(英語の長谷川真澄先生だったと思います)、米粒一粒が気になって残さないようになったり、ふとしたことが人格形成につながっている気がします。こういう些細なこともご縁というか、人との繋がりだと思います。
 それから、同級生の山田泰一郎君(マルヤス工業株式会社 代表取締役社長)とは、縁あって社会人になってからも、協豊会(※1)のメンバー同士ということもあって在学中より親しくお付き合いしています。

東京大学に進学されるのですが、いつごろから「東大に行く」と決められていたのですか。それに向けて、何か特別なことをされましたか。  東大というか、東京を目指した一番の理由は一度実家から出てみたかったからです。実家の裏に自分の名字の看板がある環境で育ちましたので、そこから親元離れて自分が何者かを測ってみたかったのです。
 そういう意味では東大でなくてもよかったのですが、それくらいなことを言わないと名古屋から出してもらえなさそうだったから。高3のはじめくらいまでは偏差値で一番上を目指してみたい、と漠然と思っていたくらいで、東大にいける、いきたいと思うようになったのは、夏に東大模試を受けてからだったと思います。結果的に合格できたことは自己肯定できるよりどころができて、良かったと思います。

大学時代はどんな学生生活を送られたのですか。  実験装置を作って卒論を書かなければ卒業できないということがあって、大学にはきちんと通っていました。部活のアーチェリー部も最後まで活動してました。アーチェリー部では、学内外のいろんな人たちと出会う良い機会にもなりました。東京の超絶頭の良い人たち、地方から出てきている大変優秀な人たち、またそれぞれの大学や学部に色があって、それぞれに合った人が自然と集まってくることを学びました。この人たちと競いながら東京で生きていく道もあったかもしれませんが、それよりは実家に戻って跡を継ぐ道を選ぼうと思いました。

創業者一族としてお生まれになった青山さんは 、事業承継についてはどう考えていましたか。跡を継いだことが人生の一番大きな決断だったと、東海ラジオの番組でおっしゃっていましたが。  もの心つくころから、将来は後継ぎだ、と言われて育ちましたが、人の前に立ってリーダーをやるような性格でもありませんでしたし、受けきれるかどうかをずっと悩んでいたような気がします。小学校とかで将来の夢を聞かれることがあったかと思いますが、フリーの状態で夢を考えたことはないので、何を書けばよいのか大変困りました。
 最終的には、せっかく立場をもらえるのであれば、そこから見える風景というか世界を見てみたい、と思う気持ちが勝ちました。

青山製作所「創業の地」は江南市布袋駅の近く。
現在は子会社の株式会社チゥキヨーがある。
現在の本社・工場(丹羽郡大口町)。
今では全国、そして世界に拠点を持つ。

2011年に 3代目社長に就任されましたが、モノづくりの業界に入り、モノづくりをされて、やりがいを感じるときはどんな時でしょう。また、 おもしろさを感じたことは。そこには社是の「信用は、創意・誠意・人の和で」もしくは、あるべき姿の「四方よし」の精神が生きているのですか。  実は、東日本大震災より2年前にリーマンショック(※2)があり、その時副社長だったんですけど、社長(親父)から「お前が全部処理しろ」とありがたいご指示をいただいて、減産対応をやったことがありました。大震災時は、リーマンショック以来2回目の減産対応になりました。
 後継ぎですので、36歳で社長にしてもらいましたが、その段階で売り上げが780億円、グローバルでの従業員が3400人(現在は5400人)の組織、そのトップになるわけですから、大変な重圧でした。実際に社長になったときは東日本大震災の発生直後で茨城工場の被災復旧や国内車両生産の急ブレーキへの対応からスタートし、その年の終わりにはインドネシア進出検討など、毎年怒涛のように「重圧」というか「やりがい」のある仕事をさせていただきました。10年経って今度はコロナ、「何で、コロナで減産なるねん」と思いました。減産は2回やっているので、3回目だから同じことをやればいいんだ、あの時代に戻ったんだと。
 モノづくりの業界、ということでは一つのモノを作るにあたって様々な立場の人たちがそれぞれの知識や能力を持ち寄って一つのモノに形を作っていく、団体戦だと思っています。営業、開発、生産技術、人事、経理などの機能に加えて、機械のオペレートしている職人たち、トラックの運転手、パートで検品を頼んでいるおばさま方、などなど、大変多くの「創意・誠意・人の和」を合わせていかなければなりません。うまくいって何かの結果を出せた時には大変やりがいを感じますし、お客様・従業員に感謝しかありません。
 何かがうまくいったときに社長一人でできるようなことは無くて、会社の従業員の皆さん、お客様、仕入先、地域社会のご理解、ご協力があって初めてできます。そんなことから「四方よし」という言葉を作りました。

青山社長メッセージに「ファスニング分野を通じてお客様と共に世のため人のためになる価値を生み出すことで社会に貢献していく」とありますが、 今後、自動車業界の中身も変わっていく中、貴社の今後の方向性はどうお考えですか。  自動車業界としてはカーボンニュートラルに伴って車の電動化、特に電気自動車など新しい開発が進んでいます。我々の会社としても新しい流れの中で役に立っていけるように取り組みを加速しようと思っています。

青山製作所が提供している様々なファスナー製品

趣味は何でしょうか。 何か今はまっていることはありますか。  ゴルフはあきらめずにやっていますが、相変わらず運動センスはからきしなので、まったくうまくならずに困っています。趣味ではないですが、海外拠点がタイ、アメリカ、チェコ、中国、インドネシアにあり、出張の際には現地の食事など日本とは違う雰囲気を楽しんでいます。

座右の銘は。  先人の言葉などといった大げさなものはありませんが、「今日も一歩前へ」ですかね。昔のクロネコヤマトのCMで言われていたものです。
 社会人になってからトヨタ自動車の生産調査部に入れていただいて、修行をしていたんですけど、「今日やるべきことは、今日中にちゃんとやろう」と、やるべきことは、その日のうちにやりきることを学びました。ちょっとずつ良くなるんだ、毎日やるべきことは、やっておこうというイメージ。トヨタはそれを何十万人に投げてできる実例みたいな会社、一人一人の能力をこつこつ、こつこつ磨き上げ続けることをやると一人の天才でなくてもなれると思いました。また、日々の研鑽(けんさん)を重ねれば、QC(※3)のPDCA(※4)でしっかり分析してつかめることができ、パレート展開、なぜなぜ分析でしっかり分析して問題点をつかめることが最終的に大事なのです。簡潔明瞭に一言で自分の意見が言えるようになる。そういうことは、高校の数学とかで基礎を作ったんじゃないかと思います。

滝学園の在校生、卒業生、二十歳代の若手に対し、 今後の進路を決めていくうえ、さらには、 生きていくうえでの助言がありましたら。  中学・高校の時期は、自分の進路であったり、人生を考え始めるスタートの時期だと思いますので、自分が何者か、何をしたいのか、周りの同級生と比べて自分は何ができるのか、など大いに悩んでもらえればと思います。滝学園にご縁ができた皆様は周りの環境としては大変恵まれていると思いますので、大いに活用していただければと思います。
 あと、勉強が嫌いな人は多いと思います。勉強の他にも大切なことはたくさんありますが、受験で得る知識もないよりあったほうが良いと思います。私は理系ですが、英語、世界史が海外でいろんな国の人たちと話す中で役に立っています。丸暗記の歴史ではなく、それぞれの国・地域の歴史を知ると興味が持てるようになります。インドネシアで工場を作る時に、イギリスの大英博物館へ行って歴史の勉強をするのですが、イギリスから見たインドネシアと自国から見た歴史では、大いに違います。チェコの時もそうでした。縦軸・横軸を繋げることの重要さに気づかされました。(東京大学の入学試験もそうです)
 昨今のカーボンニュートラルなんかでも、高校物理の先にある熱力学をわかっているほうが、よりよい対策ができると思います。それ以上に、「ものを考えること」そのものの力を鍛えておくと人生の可能性がすごく広がると思います。

※1 トヨタ自動車の協力部品メーカーでつくる会。協豊会は、1943年に設立され、トヨタ自動車の創業期からものづくりを支え、今では200社を超える会員会社で構成されています。
協豊会HP https://www.kyohokai.gr.jp/
※2 和製英語。2008年9月15日に起きたアメリカの投資銀行「リーマン・ブラザーズ・ホールディングス」の経営破綻がきっかけで、世界金融危機と不況に発展した現象のことです。発端はアメリカで住宅バブル崩壊があり、信用力の低い個人向けの住宅ローン(サブプライムローン)の焦げ付きが進み、サブプライムローンを束ねた証券化商品が大幅に値下がりし、その証券を大量保有していたリーマンの資金繰りが行き詰まった。その時、巨大金融機関への救済措置が取られなかったため金融市場に不安が広がり、世界連鎖的な信用収縮による金融危機を招いた。
※3 品質管理(英:Quality Control、略してQC)とは、一定の品質を保てるように生産工程を検査・検証・保証することです。
※4 品質管理(QC)に役立つ手法の一つとして用いられ、「PDCAサイクル」という手法を指します。
P=Plan(計画)、D=Do(実行)、C=Check(測定・評価)、A=Action(対策・改善)の頭文字を取ったもので、1950年代品質管理の父といわれるW・エドワーズ・デミングが提唱したフレームワークです。このプロセスサイクルを回して業務に存在する課題の改善を継続的に行います。PDCAサイクルを強化することで、一人ひとりが目標を達成することが可能となります。このことは、仕事に限らず、勉強にも当てはまります。

Profile

青山 幸義あおやま ゆきよし

株式会社青山製作所 代表取締役社長 株式会社青山製作所 代表取締役社長
  • 1974年9月愛知県江南市生まれ
  • 1997年3月東京大学工学部機械工学科卒業
  • 1997年4月株式会社青山製作所入社
  • 1997年11月トヨタ自動車株式会社 生産調査部 研修
  • 2003年5月ヴァージニア大学ダートン校 MBA修士課程修了
  • 2004年4月株式会社青山製作所 常務取締役 品質保証本部長
  • 2007年4月同社 専務取締役
  • 2010年4月同社 代表取締役副社長
  • 2011年4月同社 代表取締役社長(現任)


株式会社青山製作所オフィシャルサイト https://www.asj-fasteners.co.jp/

※プロフィールは、取材日(2024年6月27日)時点の内容を記載しています。

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